ホーキング織野の

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ガリレオの意義

近代科学の祖・ガリレオ

ニュートン、マックスウェル、ファラデー、アインシュタイン。
科学の歴史には数々の天才物理学者が登場する。
ガリレオもその一人だ。



しかし、ガリレオは天才物理学者ではあるが、他の天才物理学者とは意義が違う。
まさに本家本元の元祖天才物理学者なのである。



ガリレオは、木星の4大衛星、振り子の等時性、落体の法則を発見した。
これだけを聞くと、相対性理論のアインシュタインに比べて、業績は小粒のように思える。
しかし、それでもガリレオが天才であることには変りはない。
なぜなら、ガリレオは「科学」そのもののスタイルを築いたからである。



ガリレオ以後の科学者たちは、ガリレオのスタイルをマネしているだけなのだ。
ガリレオのスタイルを真似した人の中から、他の天才が生まれているのである。



ガリレオが築いた「科学のスタイル」、それは「実験や観察で事実を確かめる」というスタイルである。



自然の法則を探ろうとする試みは、古代ギリシアの時代からあった。



例えばタレスは「あらゆる物質の根源は水である」と主張した。
この主張が正しいのかどうか、古代ギリシアの人々は実際に確かめようとはしなかった。



確かめるための機材がなかったからではない。
「事実がどうか、実際に確かめよう」という発想がこの時代にはなかったのだ。
自然の法則は思索によって求めることが当然とされていたのである。



この時代、多人数を説得できれば、それが真実とされた。
だから古代の科学者は論説や弁舌にも優れていた。
このような時代が中世まで継続した。



そして、ガリレオが登場した。
物体が落下するスピードを実験によって確かめた。
木星の衛星を観察し、地動説が正しいことを確かめた。
実験・観察によってガリレオは、思索に頼ってきた科学の在り方に風穴を空けたのである。



後続の学者たちは、だんだんとこの方法を真似するようになり、いつの日か、「実験・観察によって実証する」というのが、科学のスタイルになったのだ。
今日、実験・観察による実証が欠けていれば、それは科学とは見なされない。



「真理は、弁舌ではなく、事実によって導かれる」
ガリレオが、このスタイルを確立したからこそ、後の科学は大きく進歩したのである。
ガリレオの意義は大きいのだ。



科学の歴史のこれほどの貢献をしながら、ガリレオの晩年は恵まれていなかった。
教会の怒り買ったため、宗教裁判で地動説撤回の宣誓書に署名させられたのだ。



軟禁状態で余生をすごしたガリレオは、1642年、失意の中で世を去った。
しかし、ガリレオが確立した科学のスタイルは終わることは無かった。



ガリレオが他界した、まさにその年の暮、イギリスの田舎町の小さな家でニュートンが産声を上げた。
その家の庭では、天に向け大きく枝を伸ばした1本のリンゴの木が、ひっそりと立っていた。

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参考文献・サイト

ピーター アトキンス,「ガリレオの指」早川書房,2004
Rice University:The Galileo Project

2009/08/06



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